0120-1492-08
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室町時代創建、
瑞華院の想いを込めた
全館個室の納骨堂
瑞華院の想いを込めた
全館個室の納骨堂
増上寺五世法主・天誉了聞(てんよりょうもん)上人が子院・瑞華院を創設されたのは、
室町時代半ばの明応元年(1492年)です。
以来、東京都港区の増上寺の修行道場として、500年余りの歩みを重ねてまいりました。
今、都市の暮らしは多忙となり、節目節目のお墓参りのゆとりさえ、見つけることは困難です。
しかし、故人様を悼み先祖を偲ぶ人々の心は変わることがありません。
その想いにお応えするために誕生したのが、瑞華院の納骨堂・了聞です。
都心にあってより訪れやすく、より快適に故人様と向かい合っていただくために、
了聞の館内には、瑞華院の心づかいがすみずみまで息づいています。
今を生きる人々の暮らしと心にかなう、開かれたお寺とお墓のかたちがここにあります。
室町時代半ばの明応元年(1492年)です。
以来、東京都港区の増上寺の修行道場として、500年余りの歩みを重ねてまいりました。
今、都市の暮らしは多忙となり、節目節目のお墓参りのゆとりさえ、見つけることは困難です。
しかし、故人様を悼み先祖を偲ぶ人々の心は変わることがありません。
その想いにお応えするために誕生したのが、瑞華院の納骨堂・了聞です。
都心にあってより訪れやすく、より快適に故人様と向かい合っていただくために、
了聞の館内には、瑞華院の心づかいがすみずみまで息づいています。
今を生きる人々の暮らしと心にかなう、開かれたお寺とお墓のかたちがここにあります。
瑞華院の歴史
当院は浄土宗大本山・三縁山広度院増上寺の子院として、明応元年に増上寺法主により開設された由緒ある寺院です。開山以来、当院も様々な相談に訪れる衆生の民の憩いの場でもあったと伝わります。いにしえの人々も現代人も、来世の安寧を信ずることで救われ、人生をよく生きるための支えとなることにかわりはないのではないでしょうか。今ある命はご先祖から受け継いだ命であり、未来へ繋がる大切な命です。共に生き、生かされているこのかけがえのない命を全うするために、不安を払い心の安らぎとなることが私たちの使命と考えます。
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1133年美作国久米南條稲岡庄(現在の岡山県久米郡)に勢至丸、
後の法然上人誕生1175年法然上人、専修念仏を唱え、浄土宗を開く1192年源頼朝征夷大将軍に、鎌倉幕府を開く1212年法然上人入寂。80歳1338年足利尊氏征夷大将軍に、室町幕府を開く1393年酉誉聖聰上人、武蔵国豊島郡(現在の千代田区平河町付近)に
増上寺を創建1492年天譽了聞上人が増上寺第五世法主に1492年瑞華院開創
大本山増上寺に般舟三昧(はんじゅざんまい)という九十日あるいは七日というような期間で、常に、身は歩き、口は南無阿弥陀仏を称え、心は阿弥陀仏を念じる身口意の三業を 通じて御仏にまみえることができるとする教えの道場として、増上寺の山内に子院、瑞華院を開いた。1573年室町幕府倒れる1584年源誉存応上人、増上寺第十二世法主に就任1590年徳川家康、江戸に入り、存応上人と師檀関係を結ぶ徳川家康公が江戸入府の折に増上寺に立ち寄る。
家康公は時の第十二世法主・源誉存応上人を崇敬し、増上寺の山号三縁山が「三河と縁あり」に通ずることなどから 増上寺を徳川家代々の菩提寺として定める。1598年増上寺、芝の現在地に移転。江戸城拡張のため、増上寺が現在の日比谷周辺から芝に移転するに伴い、瑞華院も芝に移る。 -
江戸時代1603年家康、征夷大将軍となり、幕府を開く鎮守熊野社の別当を兼帯し、別に本地堂の建立縁起を述され堂を建てたと伝えられる。
中期には美濃八幡藩主井上河内守の宿坊、後期には、信濃飯田藩主堀大和守の宿坊となる。1657年江戸大火で増上寺も延焼。1668年、1762年、1806年、1850年にも火災で堂宇焼く1806年文化の大火により瑞華院も焼失したが後に再建される。1867年大政奉還 -
明治1868年明治時代へ。廃仏毀釈の運動起こる1900年増上寺境内縮小に伴い、現在の地、南麻布に移る。
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大正1912年大正時代へ
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昭和1926年昭和時代へ1945年東京大空襲により本堂焼失。
本尊の阿弥陀如来像と開山当時から残る開祖天譽了聞上人像は奇跡的に
類焼を免れ、今も院内に安置。 -
現在開山より五百有余年を経て、現住職は第八十世想誉明人上人
住職から皆様へご挨拶
増上寺五世法主・天誉了聞上人が子院・瑞華院を創設されたのは、
室町時代半ばの明応元年(1492年)です。
以来、東京都港区の増上寺の修行道場として、500年余りの歩みを重ねてまいりました。
今、都市の暮らしは多忙となり、節目節目のお墓参りのゆとりさえ、見つけることは困難です。
しかし、故人様を悼み先祖を偲ぶ人々の心は変わることがありません。
その想いにお応えするために誕生したのが、瑞華院の納骨堂・了聞です。
都心にあってより訪れやすく、より快適に故人様と向かい合っていただくために、
了聞の館内には、瑞華院の心づかいがすみずみまで息づいています。
今を生きる人々の暮らしと心にかなう、開かれたお寺とお墓のかたちがここにあります。
室町時代半ばの明応元年(1492年)です。
以来、東京都港区の増上寺の修行道場として、500年余りの歩みを重ねてまいりました。
今、都市の暮らしは多忙となり、節目節目のお墓参りのゆとりさえ、見つけることは困難です。
しかし、故人様を悼み先祖を偲ぶ人々の心は変わることがありません。
その想いにお応えするために誕生したのが、瑞華院の納骨堂・了聞です。
都心にあってより訪れやすく、より快適に故人様と向かい合っていただくために、
了聞の館内には、瑞華院の心づかいがすみずみまで息づいています。
今を生きる人々の暮らしと心にかなう、開かれたお寺とお墓のかたちがここにあります。
瑞華院 福井 威人 上人